満開の桜

目白と尾張徳川家

 尾張徳川家が目白に住み始めたのは昭和7年11月のこと。それまで暮らしていた麻布富士見邸(現、駐日フランス大使館)からの景観に煙突が増えたことを嫌った夫人の為に、尾張徳川家第19代当主である侯爵・徳川義親(1886-1976)は、昭和5年に子爵・戸田康保(1889-1948)から目白の土地を購入し、同級生の建築家・渡邊仁(1887-1973)に依頼して本邸を建築しました。 

本邸の様子

 敷地内には渡邊仁設計の西洋館、麻布富士見町から移築した日本館を中心に、南側は広い庭園に観音堂や茶席が配され、西側の敷地は財団法人徳川黎明会を設立して徳川生物学研究所(昭和45年3月閉鎖)・蓬左文庫(昭和25年4月に名古屋市に譲渡、付属歴史研究室は徳川林政史研究所として現在まで続く)が置かれ、温室や講堂なども併設されていました。

 本邸には徳川義親を訪ねて国内外から多数の来客がありました。講堂では町会の寄席や音楽会・映画会なども開催され、敷地の周囲には塀が作られることもなく近所の人々が通り抜けるような樹々に囲まれた空間であったといいます。

本邸

本邸の様子
本邸の様子

一家団欒の様子

一家団欒の様子
一家団欒の様子
一家団欒の様子
一家団欒の様子

尾張徳川家に訪れた外国人

諏訪根自子留学送別会諏訪根自子留学送別会
~ベルギー大使夫妻と共に
石灯籠に触れてみるヘレンケラー石灯籠に触れてみるヘレンケラー
(尾張徳川家目白邸庭園にて)
大使館の方々をお呼びして大使館の方々をお呼びして
本邸に滞在した留学生たち1本邸に滞在した留学生たち1
本邸に滞在した留学生たち2本邸に滞在した留学生たち2

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